夭折の天才女流詩人
北原白秋が絶賛
1916(大正5)年、現在の長野県飯田町(現・飯田市)に生まれました。父親の仕事の関係で現在の熊本県荒尾市に移り、荒尾北尋常小学校(現・荒尾市立万田小学校)に入学。2年生の時、文芸雑誌「赤い鳥」に投稿した詩が詩人の北原白秋の目にとまり絶賛されます。
その後、児童文芸史や新聞、雑誌に次々と詩を投稿し、詩人として高い評価を得て全国的にその名を知られ将来を期待されました。しかし、高瀬高等女学校(現・玉名高等学校)の卒業式直後に病に倒れ、数日後、帰らぬ人となりました。
素直な言葉が豊かに情景を描き出す
16年と少しという短い生涯でしたが、海達公子は約5千編の詩と約300首の歌を残しました。
もう すこしで
ちっこう(築港)の
さきにはいるお日さん
がたにひかって
まばゆい まばゆい
これは、大正13年の「赤い鳥」9月号に掲載された詩です。干潟に映える夕陽の美しさが、幼い目で見た素直な気持ちそのままに表現され、詩を口ずさむだけで、夕暮れに染まる有明海の広大な干潟が目の前に広がっているかのような気持ちになれます。
荒尾市内には、小学校をはじめ多くの場所に海達公子の歌碑が建立されており、その歌碑を巡る荒尾探訪もお勧めです。













