あらお梨の歴史
“荒尾ジャンボ梨”の名称で知られる荒尾梨は、“新高(にいたか)”という品種で、昭和初めより荒尾市での生産が始まりました。
現在、栽培農家は約150戸!生産高は約2000tにもなります。
“荒尾ジャンボ梨=新高”は、新潟県の“天の川”と高知県の“今村秋”という品種を交配し、昭和2年に神奈川県農業試験場で生まれました。
新潟県の“新”、高知県の“高”をとって“新高”という名前になったそうです。
荒尾では、明治41年(1908年)に松尾茂三郎さんと関島増男さんが植え付けたことに始まり、生産農家が多くなったのは大正時代に入ってからになります。
そして、現在では、全国有数の“新高”の栽培面積を誇るほどになり、
“荒尾ジャンボ梨”のブランド名は、全国で認知されるようになりました。
また、全国区になったもう1つの理由は、荒尾の産業に深く関係します。
荒尾は、明治から昭和にかけての約100年間、三井三池炭鉱の1つとして大変栄えていました。
その時代、全国各地から炭鉱に集まった人々が自分の故郷に「荒尾ジャンボ梨」を次々と送り、一気に「荒尾ジャンボ梨」のブランド名が広がったとも言われています。
収穫時期は、9月下旬から10月末まで。
“荒尾ジャンボ梨”は、“完熟&朝もぎ”をモットーした梨農家さんの自信作が並ぶ、荒尾市内の直販所で購入するのが一番!
昨今では、新高の他にも、幸水、豊水、あきづきなど多品種に挑戦の梨農家さんも存在し、荒尾市内の直売所は8月〜10月の3ヶ月間、梨を買い求めに来るたくさんのお客さんでにぎわいます。